いつもうたたねの募金箱への寄付、募金ありがとうございます。
うたたねのお客様からもご支援いただきました、
石巻動物救護センター が役目を終え、9月30日に無事に閉所しました。
石巻地区の仮設住宅が9月中に完成、
お預かりしている動物たちはほぼ全て被災者の皆様に返還されての閉所です。
4月に石巻へ通い出した時から、
できれば最後まで見届けたいとの思いがあったので、
8度目の訪問、9月末~10月2日まで石巻に行ってきました。
~最後の記念撮影~
動物愛護の活動には終りがありません。
捨てられたり、迷子になったりする犬猫がいる限り活動は続きますが、
被災地での活動は、いつか終りが来るのだと知りました。
それが早ければ早いほど、復旧、復興に向かっているということです。
ボランティアにとっては終りでも、
被災者の方にとっては、復興に向けた新たなスタートでもあり、
愛するペットとの半年振りとなる生活の始まりです。
私がいた数日は20匹~30匹の動物たちのお迎えがありました。
たぶん、みんな笑顔で見送りできたと思います。
泣いてしまうボランティアさんは皆さん遠くから見送っていましたから・・・、
私も事務局で仕事をしながら窓越しにみんなのお別れを聞いていました。
センターには犬猫だけでなく、カメやインコ、オウムもいました。
オウムはいつも事務局で大きな声で色々とお話をしていたのですが、
お迎えが来て、車に乗った時にボランティアに向かって
「バイバーイ
」と大きな声で鳴いたそうです。
たくさんの奇跡が起こったセンターでした。
素晴らしい獣医師達とボランティアと温かい支援者が集まり、
自分がお手伝いできたことより、受けとったものの方がずっと多かったと思います。
預かったり、保護した犬猫は全部で300匹以上、
お手伝いしたボランティアは日本だけでなく世界中から総勢2000人、
私もその中のひとりでいれたことを心から感謝しています。
フードやケージ、衛生用品など余った物資は
支援頂いたコンテナ、プレハブに詰め込み福島に輸送されます。

コンテナには石巻から福島へ、みんなからメッセージが書かれました。
迷子で保護されたり、飼主さんが亡くなられたり、
やむを得ず所有権放棄された犬猫たちは、
ボランティアが引き取って行きました。
私は隔離室を担当していたので、心配だった猫がたくさんいましたが、
さすが遠くから被災地に来るボランティアだけあって、
威嚇する猫、病気の猫は、いち早くみんなが連れて帰ってくれました。
私は活動途中で、3匹の子猫を預かりましたが、
可愛い子猫はすぐに新たな里親さんの元に巣立っていきました。
「最後に残った猫がいたら、連れて帰るわ」
何度がリーダーには伝えていましたが、
私の出る幕はなさそうだったので少しホッとしていましたら、
最後の最後で所有権放棄の猫がでました…、
入退院を繰り返していた、みんなが心配していた猫でした。
その猫が最後に運び出されて、猫舎プレハブの中の解体が始まりました。

このケージが置かれていた棚もみんなボランティアの手作り、
資材も手分けしてボランティアで買って石巻に送って、
私が送った防水シートだけでは足りなくて、
大阪から来ていた獣医さんが残りを買ってくれたと聞きました。
何もないところからみんなでアイデアを出し合って作り上げたセンターでした。


みんな様々な想いを抱いての解体作業でした。

いつもボランティアが20~30人いてあんなに賑やかなセンターだったのに、
私達が帰るときには静まり返っていました。

初めて見る誰もいないセンターでした。
本当に悲惨な震災でしたが、
ボランティアの私達は、たくさんのことを学び、たくさんの方と出会い、
多くの経験を積むことが出来た被災地でした。
帰りに石巻市内を一望できる、日和山に登ってきました。

右手に見えるのが何度も報道された石巻市立病院です。

写真正面、港の近くには積み上げられた瓦礫の山がありました。
震災から半年、遠くから見ると驚くほど片付いた石巻、
時間は掛かるけど、この町はきっと復興できると思えました。
もうほとんど第二の故郷です!必ず、近いうちにまた訪れたいと願っています。
私が半年間も被災地に通えたのは、
留守中もしっかりとうたたねを支えてくれたスタッフのおかげです。
うたたねは、みんな20代の若いスタッフですが、本当にしっかり者です。
20代や若い世代の素晴らしさは被災地でも感じましたから、
もう「近頃の若い子は・・・」なんて絶対に言わないと思います。
この若い世代がこれからの新しい日本を作っていってくれるのだと信じています。
ご支援いただきました全ての皆様に心より感謝申し上げます。
ありがとうこざいました。